わたしの砂時計        

サラサラと流れていく日常を ほんのひと掬い 時々ピアノ 時々愚痴と毒吐き

美しい花から、死へと思考が飛んで行った


この記事は、熱心で敬虔なクリスチャンのかたには
不愉快な内容かもしれません。
その場合、読まないでください。



ラナンキュラス

ラナンキュラスって、何て綺麗なんでしょう。
こんなに完璧な美しい花を作った神様が、
人間同士が争い殺し合い、天災で苦しんでいるのに
黙って見ているのは何故だろう。

最初の人間、アダムとエバ(私の学校ではイブじゃなくエバでした)
が罪を犯したから
人間は生まれながらに「原罪」を背負っていると習いました。
アダムとエバが勝手にやった事でしょ。知らんがな。
それがずーっとついて回る、生まれながらに罪深い人間。
なんでそうなるの。それって究極の親ガチャじゃないですか?

あっちでドンパチ、こっちで地震、
不幸に翻弄され右往左往する人間を、
天から見ていてゲームのように扱わないで欲しい。
幸せを知らずただ生まれて死んでいくだけの人間なんて
作らなければ良かったのに。

現世利益を得るための信仰は無意味だし、
神のために苦難を耐え忍べば天国が待っている、
というのも無意味だと思う。

今宗教を信じている人をくさすつもりは全くありません。
信教は自由ですから。

ただ、もはや苦痛も悩みもない完全な無の世界、「死」が
一人残らず待ち受けていることは、ある意味大きな救いだと
私は思います。

全身麻酔で、仮死状態で手術を受けた時、意識が
遠のく瞬間の気持ち良さ、そして意識が戻った時の
地獄のような苦痛。

あれを経験してから、死は怖くなくなりました。
苦しんで死ぬのは怖いけど、死そのものは、
あらゆる精神的肉体的苦痛から解放される、
完全なる安らぎだと思います。

だから、神が用意してくれた究極の幸福は
最後に必ず待ち受ける「死」であると私は思います。
永遠の命なんて、考えただけでうんざり。

一度きりの人生だからこそ、頑張って生きてみようと思える。
最後には究極の安らぎが待っているのだから。
死ぬ時が来るまでは、頑張って生きてみるべきでしょう。

死後の世界とか、地獄などは無いと私は思います。
「地獄へ落ちろ!」と思う人間は数名いますけどね。


(16:26)

 

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MK(女性)

Author:MK(女性)
終活で戸建てからマンションへ
2020年2月に転居しました。
シンプルかつコンパクトに暮らす
丑年、水瓶座。趣味はピアノと
ドール。神奈川県生まれ。
長野県在住。

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